ふぁんしぃ
2009
ゼミの先輩と連絡を取ってみた。
その先輩と最後に会ったのが4月。
たっなぁ。
時間はたったんだなぁ。
あれからもう一年だって。
はえー。
ホントはえー。
ちょっとした衝撃でした。
2009
色々あって、今日13日に延びた。
12日の夕方にはとりあえず完成し、
追加する部分を考えていたらこんな時間になってしまった。
しかし、書き上げたとたんに不安がよぎる。
これくらいでOKなのかと。
ほんの一週間前、ミネミネは
“もう今はいかに今あるデータを論文としてまとめるか…”
というような発言をしていた。
つまり実験はしなくてもいいというニュアンスだ。
しかしその数日後にさせられた“もう実験しない宣言”。
ようするにやれってことなのか?
そのさらに数日後、
ゼミでこんな実験しますと話すと、
マキマキは約束(12月一杯で実験終わる)と違うから認めないといい
ミネミネはとっととやってという。
どっちやねん。
なまじ無理すれば間に合ってしまうのが
悩み所だったりする。
私の修論、明日はどっちだ。
2009
先日ミネミネに謎の
“もう実験やらない宣言”
をさせられた。
学会の前刷りを出しに行った時のこと。
帰り際、突然に彼が強い口調で言う。
み adutch君はもう実験しないんだよね?
私 いや、これこれはします。
み じゃあ新しいバージョンについては
こまつ君に私が直接指示を出していいわけね?
私 え?あ、はい。
後日ゼミにて
こ 今回試作するやつの図面です。
(うちの研究室では基本的に部下が報告するルール)
み これは私とこまつ君の間で秘密りにやってるやつだから。
早くやろう!
私 いや、私一枚噛んでますけど…。
察するに、ミネミネの中で私は
“もうあいつはやる気がない”
と判断され、諦められているのではなかろうか。
今までこまつとは二人三脚で実験をしてきた。
といってもあくまでも上司と部下。
実験やり方については私が指示を出している場合が多い。
彼も修士に行くわけで、
やっぱり1から考えるってのをして欲しいなとか思ったりなんかして、
だからこんな感じのやってみるか程度だけ伝え
製図や、先生に相談することとかも彼に任せてみたのだった。
そして出た結果は私の修論に載せず、
こまつオリジナルにしようと。
もちろん相談には乗っているし、
彼が自信のないプロセスについては監督としてつく約束もしている。
しかし、図面をこまつが直接先生に見せた時点で、
ミネミネは左記のような判断をした可能性は高い。
確かにメラメラと燃えるやる気はない。
まぁあったこともない(笑)
だから開き直れば解放されたと小躍り。
でもなんか怒りと悲しみを覚える。
当社比とはいえこの2年間頑張ってきたわけで。
確かに山ほどデータがとれた訳じゃないけど、
それでも、鉄板プロセスは構築したわけだし、
4年生だって2人卒業させてる(今年のは予定だが)
良くも悪くも後世にモノは残したつもり。
その一番最後の最後に彼が私に対して
“こいつぁもうダメだな”
と判断を下したのだとするならば…。
私のしてきたことはなんだったんだろう。
あの、ストレス耐えた日々はなんだったんだろう。
しまいにゃぁ“修士の2年間は楽したんだな”と言われですよ。
ふざけんな。
どうせ今書いてる修論も
“ここ直せばもっとよくなる”
というアドバイスの体ではなく、
“こんなの全然駄目”
というただのだめ出しがなされて帰ってくんだろ。
アホくさ。
ボロクソにけなされてもなんでも
数ヶ月後にはぜっってー出てやる。
2009
なかなかあわただしい1日を過ごしました.
その夜,地元の友人から一本の電話が来た.
“昨日●○と偶然会って,今日飲むって話になったんだけど来る?”
そんな暇がないことは重々承知で
個人的に打ち上げもかねて飲みに行くことに.
すげー懐かしい.
そこにいたのは6年2組の卒業生3人.
うち1人は9年ぶり.昔話に花が咲く.
あいつどうしてんの?
先生結婚したよね.
あーあったあった!
考えてみれば,あれから12年の月日がみんなに流れている.
2人は弘前でフリーター,
1人は北海道で医学部5年生,
私は院2年生で数ヶ月後には横浜.
なんとなくタイミングも相まっておもしろかった.
あのころは,今で言うところのいじめみたいのはあったけど,
今となっては少し恥ずかしくてもそれは笑い話で
よくよく考えれば特に他人と比べられることもなく
時間の流れもゆっくりで,ただただ平和だったきがする.
忘れてたことをいっぱい思い出し,なんかやる気復活です.
“今年の盆あたり,クラス会出来たらおもしろいだろうね.”
僕らのこの言葉の行方はいったいどうなるだろう.